北海道駒ヶ岳/垣ノ島遺跡/大船遺跡
自然?風(fēng)土
ロイヤルシティ鹿部リゾート/2022.02.01
北海道のなかでも、比較的冬の寒さが穏やかな道南エリア。ロイヤルシティ鹿部リゾートが広がる北海道鹿部町を含むこのエリアは、標(biāo)高1,131mの名峰、北海道駒ヶ岳がランドマークのひとつです。かつては富士山のような円錐形をした1,700mほどの火山だったといわれ、別名「渡島(おしま)富士」と呼ばれています。太古から幾度も繰り返された噴火活動(dòng)を経てきた駒ヶ岳は、1640年(寛永17年)の大噴火によって山頂部が崩壊。その後も何度かの噴火を経て溶巖と火砕巖が交互に重なり、円錐臺(tái)形の山を形成。急峻な頂と、なだらかな裾野を併せ持つ今の姿になりました。
この駒ヶ岳を囲むように鹿部町、森町、七飯町(ななえちょう)の3つの町が広がり、角度によってまるで違う山を見ているかのような、さまざまな表情が楽しめます。
鹿部リゾートが位置する鹿部町は、駒ヶ岳の東側(cè)にあります。町を流れる鹿部川は太平洋內(nèi)浦灣につながり、毎年10月ごろには放流したサケが遡上。町に秋の訪れを告げます。森林住宅地から程近い、出來澗岬(できまみさき)のひょうたん沼公園は、その名のとおりひょうたんの形をした沼を取り囲むように、木道の散策路が一周しており、西の方向に「ゴリラの橫顔」といわれる山容が広がります。古くから漁業(yè)が盛んな鹿部では、年中通してタコやホッケが水揚(yáng)げされるほか、冬にはホタテやスケトウダラ漁が盛況を迎えます。たくさんの漁船でにぎわう鹿部漁港からも、漁師たちを見守るように、勇ましい駒ヶ岳がよく見えます。
大沼國(guó)定公園を有する七飯町は、北海道の農(nóng)業(yè)の礎(chǔ)を築いた町。日本初のりんご栽培や男爵いもの発祥地としても知られています。道道43號(hào)大沼公園鹿部線と併走するように、「ミルクロード」と呼ばれる酪農(nóng)地帯が広がり、なだらかな牧草地の向こうに駒ヶ岳を見ることができます。なかでも久保田牧場(chǎng)周辺から見えるのは、手を左右に広げるような穏やかな姿。裾野に並ぶ民家が、駒ヶ岳の雄大さを物語っています。
鹿部町の北隣にある森町は、江戸時(shí)代初期から漁業(yè)の地とされ、函館周辺の漁民がニシンなどの魚を求めて出稼ぎにきていたといいます。森町は駒ヶ岳を270度にわたって囲むような町なりで、鹿部、七飯の2つの町に比べ、少し趣の違う名峰を望めます。他の町からは大口を開けたような山頂と、裾野を広げる山の様子が望めますが、森町のハマナス臺(tái)場(chǎng)公園の近くから見える駒ヶ岳は、山肌にくっきりとした陰影を?qū)懁够摹─筏ぷ恕?biāo)高1,000mを超える名峰の、気高さを感じさせます。
2021年(令和3年)7月、函館の「垣ノ島遺跡」と「大船遺跡」を有する「北海道?北東北の縄文遺跡群」が、世界文化遺産に登録されました。
北海道南部や青森県、巖手県、秋田県に殘る、これらの縄文遺跡群から歴史を紐解くと、當(dāng)時(shí)から豊かな森と漁場(chǎng)に恵まれ、1萬年以上にわたり定住生活が続いていたといいます。祭祀儀禮が行われていた跡が殘る大規(guī)模な「盛り土遺構(gòu)」もあり、漆塗りが施された器や裝飾品のほか、亡くなった幼児の足型などが出土しました。
當(dāng)時(shí)の人々の豊かな精神性を感じることができる貴重な文化遺産として、この度の世界文化遺産登録で、その価値が世界的に認(rèn)められました。
太平洋を望む丘に広がる函館市の垣ノ島遺跡は、紀(jì)元前7,000年から約6,000年間という長(zhǎng)期にわたる生活を示す集落跡。定住開始期の段階で、既に居住域と墓域に構(gòu)成されていたといいます。とくに、長(zhǎng)さ190m、幅120mほどのコの字型の丘狀になった盛り土遺構(gòu)の規(guī)模は國(guó)內(nèi)最大級(jí)。父母の墓に副葬されたと思われる夭折した我が子の足型を?qū)懁啡·盲空惩痢缸阈透锻涟妗工稀⒓s6,500年前につくられたもので、この時(shí)期につくられたものとしては北海道でしか見つかっていない出土品です。土器や石器など日常生活の道具や、食べた後、破棄されたと思われる魚の骨なども同じ場(chǎng)所から出土され、「全てのものに魂が宿っている」という敬意が映し出されます。垣ノ島遺跡を一望できる場(chǎng)所には、函館市縄文文化交流センターが隣接し、國(guó)寶「中空土偶」をはじめとする出土品が數(shù)多く展示されています。
同じく函館市の大船遺跡は、紀(jì)元前3,500年から約1,500年間にわたって営まれた拠點(diǎn)集落。床を深く掘り込んだ竪穴建物が特徴的で、100基以上が確認(rèn)された中には、深さ2mを超える大型のものも見つかっています。また、遺跡內(nèi)の竪穴建物の密度が非常に高いのもこの遺跡の特徴。動(dòng)物の骨やクリなども発見され、太古の昔から、海や山野の幸に恵まれた環(huán)境にあったことを物語っています。
出來澗岬ひょうたん沼公園[現(xiàn)地から約2.9㎞]/鹿部漁港[現(xiàn)地から約7.0㎞]
大沼國(guó)定公園[現(xiàn)地から約22.2km]/久保田牧場(chǎng)[現(xiàn)地から約15.8㎞]
ハマナス臺(tái)場(chǎng)公園[現(xiàn)地から約10.5km]/垣ノ島遺跡[現(xiàn)地から約24.3㎞]/大船遺跡[現(xiàn)地から約19.6㎞]
取材撮影/2021年11月9日、11月28日
SLOWNER TOPへ