薩摩川內市、伊佐市、いちき串木野市
自然?風土
ロイヤルシティ霧島妙見臺/2024.03.15
鹿児島県の中央部で、鹿児島灣に手を広げるように広がる霧島市。高千穂峰や霧島神宮など、數々の名所や史跡が殘る霧島市の周辺を見渡すと、海で山で、遙かなるときの中で紡がれた豊かな自然に出會えます。例えば、霧島市の西に位置する薩摩川內(さつませんだい)市の、東シナ海に面した西方海岸。大きな巖の間に、子どもを抱えた母の姿に見える「人形巖」といわれる巖が立っており、特に夕方には逆光線でシルエットが際立ち、見る人の哀愁を誘います。
藺草(いぐさ)の有數の産地で、池畔に沼や濕地があったことから名付けられた「藺牟田池」。國內希少野生物のベッコウトンボなどが生息することから、ラムサール條約に基づく國際的に重要な濕地として登録されている
薩摩川內市の山間、標高295mの地點に、直徑約1km、周囲約4kmにわたる火口湖「藺牟田池(いむたいけ)」があります。群生するイネ科やカヤツリ科の植物が枯れて堆積し、炭化して形成された泥炭が、湖底から水面に浮かび上がり、池のあちこちに300個ほど點在。「浮島」と呼ばれるこの泥炭形成植物群落は、低層濕原では極めて珍しいことから國の天然記念物に指定されています。特別な環境が広がるこの池には、冬になるとハクチョウなど多くの鳥が飛來し、バードウォッチングも楽しめます。
昔ながらの湯治宿に明かりが燈る、夕刻の川內高城溫泉
日本の名湯百選にも選出されている川內高城溫泉(せんだいたきおんせん)は、800年あまりの歴史を重ねた今もなお、たくさんの人々に愛される湯治宿です。鎌倉時代に編さんされた土地臺帳「薩摩國建久図田帳」にも記される溫泉で、西郷隆盛も好んで通い數々の逸話を殘しています。當時から変わらず湧き出るお湯は、とろりとした肌觸りのアルカリ性単純硫黃泉。源泉が注がれる浴槽に仕切りをつけることで、お湯の調節をしているのがこの湯治宿の特徴で、夕方になると、地元の人々が訪れ、贔屓の湯屋へふらりと入っていく光景が見られます。
武士たちを分散して住まわせるために、薩摩藩が各地につくった集落「麓」。入來麓伝統的建造物群保存地區で武家屋敷の形式を今に伝える茅葺門(寫真左)と舊増田家住宅(寫真右)
他藩に比べ、武士が多かった薩摩藩は、鹿児島城(鶴丸城)を本城とし、山城の近くに「麓(ふもと)」と呼ばれる集落をつくり、そこに武家屋敷群を整備して藩全體を防衛。領地を小さく分けて武士を分散させて住まわせる獨自の制度をとっていました。難攻不落といわれた清色城(きよしきじょう)を背景にした入來麓(いりきふもと)には、川原石を使った玉石垣と生け垣が連続した區割りが今も殘っています。薩摩の武士たちが生きた時代を色濃く殘す町並みは、2003年(平成15年)國の重要伝統的建造物保存地區に選定されました。
大きな杉の參道の奧にある郡山八幡神社は、1194年(建久5年)建立。鮮やかな朱色が印象的で、建築様式には琉球文化の影響もみられる
霧島市の北に広がる伊佐市は、焼酎発祥の地として知られています。1949年(昭和24年)に國の重要文化財に指定されている「郡山八幡神社」は、焼酎との縁が深い場所。1954年(昭和29年)に、神社本殿を改築した際、大工が書いたとみられる落書きが発見されました。「ここの住職が一度も焼酎を飲ませてくれなかった」という、なんとも人間くさい內容ですが、そこには「永祿二歳」(1559年、永祿2年)の年號も記されており、「焼酎」の文字としては日本最古のものであることから、伊佐市が焼酎発祥の地といわれる由縁となっています。
周囲の自然公園の穏やかさと対比する、大迫力の曽木の滝。二度の噴火によって火砕流が堆積したところに湖ができ、川內川の侵食によって湖の端が削られてできたといわれる
伊佐市には、豊臣秀吉が島津攻めの際に立ち寄ったといわれる名瀑「曽木の滝」があります。辺りに響く轟音を頼りに歩いていくと、白い水しぶきを上げながら、千畳敷の巖肌を流れ落ちる豪快な水流が待ち受けていました。訪れる人をくぎ付けにする滝幅約210m、高さ約12mのスケールから、曽木の滝は「東洋のナイアガラ」とも呼ばれています。
その下流に姿を見せるのは、滝の落差を利用した明治時代の水力発電所跡「曽木発電所遺構」です。中世ヨーロッパの居城跡のような洋風建築様式の発電所から出力された電力は、當時の國內で最大規模のもので、牛尾鉱山に供給したほか、余剰電力もさまざまに活用するなど、およそ55年にわたって地域に大きく貢獻しました。
曽木の滝の下流にある曽木発電所遺構。創設者の野口遵(のぐち したがう)は、ここでつくる水力電力の余剰分を消化するため、現在も日本を代表するさまざまな化學関連工業を設立。「日本の近代化學工業の父」と呼ばれた
霧島市の西に広がるいちき串木野市には、島全體が「照島神社」といわれる神社になっている「照島」という島があります。朱色の太鼓橋を渡って上陸する東西約250m、南北約100mの小さな島は、薩摩焼発祥の地ともいわれる場所。木々の中に建つ神社に參拝した後、その裏へと続く道の向こうには、東シナ海に広がる海岸があり、天気の良い日には薩摩半島の最西端まで望むことができます。
夕刻の照島神社。太鼓橋の途中で、水辺に建つ鳥居を見下ろす
霧島神宮[現地から約16.3km~16.7km]/高千穂峰[現地から約23.1km~23.5km]
人形巖[現地から約82.0km~82.4km]/藺牟田池[現地から約45.6km~46.0km]
川內高城溫泉[現地から約85.0km~85.4km]
入來麓伝統的建造物群保存地區[現地から約50.3km~50.7km]
舊増田家住宅[現地から約59.7km~60.1km]/ 鹿児島城(鶴丸城)[現地から約48.5km~48.9km]
清色城[現地から約60.1km~60.5km]/郡山八幡神社[現地から約53.0km~53.4km]
曽木の滝[現地から約49.3km~49.7km]/曽木発電所遺構[現地から約49.3km~49.7km]
照島(照島神社)[現地から約73.6km~74.0km]
取材撮影/2023年12月5日?12月7日
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