茨城県日立市
自然?風(fēng)土
南那須?大金臺(tái)林間住宅地/2024.08.30
ダイワハウスの「暮らす森」南那須?大金臺(tái)林間住宅地が広がる栃木県那須烏山市から、車で約2時(shí)間。那須烏山市に隣接する茨城県を東に進(jìn)むと、太平洋に面した日立市に到著します。日立の地名は、この地を訪れた徳川光圀公が、海から昇る朝日を見(jiàn)て「日の立ち?xí)Nるところ、領(lǐng)內(nèi)一」と稱えたことに由來(lái)するとか。日本の鉱工業(yè)の礎(chǔ)を築いた町でありながら、海と山がそばに広がる穏やかな町、日立市には、ふと立ち止まってみたくなるスポットが點(diǎn)在しています。
町を見(jiàn)下ろす日立鉱山の大煙突。枯れ果てた山々にオオシマザクラなどが植林され、今もその子孫が日立市の春を彩る
山の中腹に立つ煙突は1914年(大正3年)、日立鉱山に建てられたものです。鉱山の発展とともに広がった煙害を克服するため、日立鉱山の創(chuàng)業(yè)者久原房之助は、煙を高層気流で拡散させるという大膽な案を発しました。科學(xué)的知見(jiàn)をもとに「日本の鉱業(yè)発展のための一試験臺(tái)として」煙突建設(shè)の必要性を説き、著工からわずか1年足らずで完成させたのは、高さ155.75mにも及ぶ大煙突。大煙突によって煙が拡散できるようになると、煙害は急速に減少しました。1993年(平成5年)、大煙突は約3分の1を殘して倒壊しましたが、今も現(xiàn)役の煙突として、先人たちの想いを伝えています。
(寫真左)日立市の中心地に建てられたシンボル的施設(shè)、日立シビックセンター
(寫真右)日立市役所本庁舎は、大屋根を介して広場(chǎng)や多目的ホールとつながる
日立市の町中では、あちこちで美しい建築物が見(jiàn)られます。夜にライトアップされる「日立シビックセンター」は、音楽ホールや科學(xué)館などを備えた複合施設(shè)。上階で存在感を放つ銀色の球體の中はプラネタリウム「天球劇場(chǎng)」になっています。リズミカルな曲線の屋根が目を引くのは「日立市役所本庁舎」です。設(shè)計(jì)は地元日立市出身の建築家、妹島和世氏が西沢立衛(wèi)氏と代表を務(wù)めるSANAA(サナア)。芝生広場(chǎng)を囲む大屋根の下では、読書をしたり、ウォーキングを楽しんだりする人々の姿も。単なる市役所ではなく、誰(shuí)もが気軽に憩える場(chǎng)でもあるようです。
朝日が昇る太平洋。JR日立駅展望イベントホールから撮影
妹島和世氏がデザイン監(jiān)修を手がけたJR日立駅は、併設(shè)施設(shè)もすべてガラス張りの建物です。記憶に殘るデザイン、誰(shuí)からも愛(ài)されるデザインを目標(biāo)に設(shè)計(jì)されたというように、太平洋を望むロケーションを見(jiàn)事に生かしたデザインが海外でも評(píng)価されており、通路を歩いているだけでも心が躍ります。特に、東端の展望イベントホールから見(jiàn)る眺めは圧巻。海と空が大きな窓で額裝されたように見(jiàn)え、建物の中にいながら自然に溶け込むような錯(cuò)覚を起こします。1日として同じ表情のない自然のアートを楽しむために、朝早くから訪れる人を見(jiàn)かけます。
(寫真左)御巖神社拝殿。「常陸國(guó)風(fēng)土記」に「かびれの高峰(御巖山の古稱)」と記された御巖山山頂に向けた登拝道は、ここが起點(diǎn)となる
(寫真右)ひとつの根本から3つの杉に分かれている「神木三本杉」。御巖山の三本杉として、林野庁「森の巨人たち百選」に選定
日立市には、創(chuàng)建時(shí)期が特定できないほど古くからある神社が各所に鎮(zhèn)座しています。721年(養(yǎng)老5年)に成立した「常陸國(guó)風(fēng)土記(ひたちのくにふどき)」に、既に信仰の聖地と窺える記述があるのは「御巖神社」です。鳥居をくぐると推定樹齢600年を數(shù)える県指定天然記念物「神木三本杉」が姿を現(xiàn)します。御巖神社は常陸國(guó)最古の霊山といわれる御巖山を神域とし、188柱もの神が祀られていることから、日本中の神様を一度にお參りできるといわれているほど。參拝道脇の美しい苔の中には小さな石仏があちこちで鎮(zhèn)座する、今では珍しい神仏混淆の霊場(chǎng)です。
(寫真左)國(guó)道6號(hào)線から鳥居が見(jiàn)える神峰神社。毎年6月頃に人形慰霊祭が行われる
(寫真右)森の中の巖山に本殿がある大甕神社。急勾配のため、參拝には鎖を使って登る
イザナギ?イザナミ?クマノクスヒの三柱を祀る「神峰神社(かみねじんじゃ)」では、7年に一度、人々の安寧を祈念する「大祭禮」が行われます。奉納される郷土蕓能は、ユネスコ無(wú)形文化遺産に登録された「日立風(fēng)流物(ひたちふうりゅうもの)」というからくり人形芝居。大きな山車を使った華やかな演出と巧妙な人形の動(dòng)きで、観客たちを魅了しています。
「宿魂石」と呼ばれる大きな巖山の頂上に本殿が鎮(zhèn)まるのは「大甕神社(おおみかじんじゃ)」です。社伝によると創(chuàng)祀は紀(jì)元前660年(皇紀(jì)元年)。星の神を祀る珍しい神社で、この巖山は約5億年前のカンブリア紀(jì)の地層から成り立つといわれています。
泉神社の境內(nèi)で、神秘的な泉が広がる「泉が森」。その袂には弁財(cái)天を御祭神とする?yún)棈u神社が鎮(zhèn)座する
境內(nèi)の森にエメラルドグリーンの清水が湧いているのは「泉神社」です。ここは、紀(jì)元前42年(宇治49年)に鎮(zhèn)祀されたと伝わる日立地方最古の神社。本殿の橫の道を下ると、靜かな森と美しい水辺が見(jiàn)えてきます。木々を映す水面はどこまでも澄み、水底の白い砂から清水がポコポコと噴き出す様子がわかるほどです。常陸國(guó)風(fēng)土記によると、夏にはこの泉に、あちこちの村里から男女が集い、くつろいでいたという記録が殘っているとか。悠久なる歴史と地球の息吹が織りなす神秘的な美しさに、時(shí)間を忘れて見(jiàn)入ってしまいます。
和ろうそくの形が美しい「日立燈臺(tái)」は、日立市民文化遺産(産業(yè)遺産)に登録。日立港を望む住宅地の古房地公園內(nèi)にあり、燈臺(tái)のそばで子どもたちが遊ぶ
日立鉱山の大煙突[現(xiàn)地から約71.4km]/日立シビックセンター[現(xiàn)地から約68.1km]
日立市役所本庁舎[現(xiàn)地から約72.5km]/JR日立駅[現(xiàn)地から約68.7km]
御巖山[現(xiàn)地から約64.9km]/御巖神社[現(xiàn)地から約62.9km]
神峰神社[現(xiàn)地から約72.3km]/大甕神社[現(xiàn)地から約57.9km]
泉神社[現(xiàn)地から約60.4km]/日立燈臺(tái)[現(xiàn)地から約61.8km]
取材撮影/2024年6月18日~20日
SLOWNER TOPへ