
CASE22
醫(yī)療施設(shè)
千手堂病院
- 所在地:
- 岐阜県岐阜市
- 構(gòu)造:
- 鉄骨造
- 延床面積:
- 2,624m2
- 竣工:
- 2022年11月
- 用途:
- 養(yǎng)病床(35床)、地域包括ケア病床(15床)、通所リハビリテーション
1949年、岐阜市の中心部にて醫(yī)院を開(kāi)設(shè)。以來(lái)、現(xiàn)在に至るまで地域に対して循環(huán)器科、整形外科を核とした醫(yī)療を提供してこられたのが、醫(yī)療法人慶睦會(huì) 千手堂病院様です。
同法人では、1954年に建設(shè)し、その11年後には大規(guī)模な増築を施された4階建て(地下1階)の病院施設(shè)は、さまざまな箇所における老朽化が長(zhǎng)年の課題となっており、今回の移転新築計(jì)畫に至りました。
計(jì)畫のポイント
快適性やコスト面の観點(diǎn)から適地への移転を決斷
醫(yī)療法人慶睦會(huì) 千手堂病院様では、長(zhǎng)年の課題解消にあたり、當(dāng)初は醫(yī)療を継続しながらの段階的な建て替えをご検討されていました。しかしながら、長(zhǎng)期化が予想される工期面とそれに伴うコスト面、さらには舊病院が岐阜市中心部の閑靜な住宅地內(nèi)に建っているため、近隣への工事の影響も考慮し、近隣地域への移転新築に計(jì)畫を変更されました。

數(shù)年をかけ、ようやく巡り合った新病院の建設(shè)地は、舊病院から約900m離れた場(chǎng)所に位置する約1,450㎡の土地。以前から通われる外來(lái)患者様や職員の皆様の利便性を損なうことのない立地といえ、新病院計(jì)畫が具體化する大きな一歩となりました。
動(dòng)線への徹底したこだわりが生んだ病床配置
療養(yǎng)病床35床、地域包括ケア病床15床、そしてその半數(shù)が個(gè)室という全50病床について、舊病院では3?4階の2フロアで運(yùn)営されており、看護(hù)師の動(dòng)線も良いとはいえず、業(yè)務(wù)の効率化や人員體制に影響が生じていました。


計(jì)畫段階から最もこだわったのが、「2階のワンフロアに全50病床を機(jī)能的に配置する」こと。幾度となく改良を重ね、最終的に実現(xiàn)したのが、スタッフステーションと食堂?デイルームを中央に置き、周囲に病室を配置する回廊式のレイアウトです。
患者様とスタッフの視點(diǎn)に立った院內(nèi)環(huán)境の創(chuàng)造
初音院長(zhǎng)が入職された2013年より心臓リハビリテーションに取り組まれるなど、近年は回復(fù)期リハビリテーションに力を入れてこられた同院。こうした機(jī)能強(qiáng)化に対応するため、施設(shè)の改良にも隨時(shí)取り組まれてきましたが、結(jié)果的にスペースを分散して設(shè)置することとなり、スタッフの業(yè)務(wù)効率に影響が生まれていました。


新病院は、各種リハビリテーションが1ヶ所で行える、ゆったりとしたスペースを1階に設(shè)けました。さらに、3階には開(kāi)放的な気分が味わえる屋外リハビリテーションスペースを設(shè)置。また、舊病院では2階に設(shè)けられていたデイケアは、利用者様の利便性を考慮し、1階のリハビリテーション室に隣接させています。
お客様の聲
取り巻く変化に柔軟にスピーディに対応し、これからも地域の信頼に応えていく

醫(yī)療法人慶睦會(huì) 千手堂病院
理事長(zhǎng):初音 三重子様

醫(yī)療法人慶睦會(huì) 千手堂病院
院長(zhǎng):初音 俊樹(shù)様
他の地方都市と同様に、岐阜市の人口も年々減少傾向にあり、高齢化も進(jìn)んでいます。特に住民の高齢化が顕著なのは市の中心部で、若い世帯の多くは郊外に移り住むという現(xiàn)象が見(jiàn)受けられます。そのため、中小規(guī)模の醫(yī)療機(jī)関も同じく郊外に移転。當(dāng)院は、岐阜市の中心市街地に殘る數(shù)少ない中小民間病院という立ち位置にあります。
當(dāng)院の歩みは、1954年に初代院長(zhǎng)である渡辺重男が兄弟3人で始めた19床の診療所がその船出となります。當(dāng)時(shí)、黎明期であった整形外科をはじめ、內(nèi)科と産婦人科を標(biāo)榜し、地域醫(yī)療に従事してきました。また、二代目院長(zhǎng)の初音嘉一郎によって、1972年には岐阜県で初めての心臓血圧センターを立ち上げ、初の心臓手術(shù)を行った病院として県內(nèi)における貢獻(xiàn)度を高めてまいりました。その後、心臓手術(shù)は大規(guī)模な急性期病院が擔(dān)うようになり、當(dāng)院では地域の醫(yī)療環(huán)境の変化に対応するカタチで療養(yǎng)型病床に機(jī)能転換し、療養(yǎng)病床35床?地域包括ケア病床15床の病院として現(xiàn)在に至っています。
地域包括ケア病床は2年前に立ち上げました。急性期病院での治療後の患者様を受け入れ、在宅復(fù)帰に向けたリハビリテーションの強(qiáng)化を図っています。また、こうした急性期と在宅をつなぐ役割を十分に果たすため、訪問(wèn)診療にも積極的に取り組んでいます。療養(yǎng)病床では、非常に醫(yī)療依存度の高い方を広く受け入れ、比較的長(zhǎng)期間の看護(hù)にも対応しています。
1954年に建設(shè)した病院施設(shè)は、1972年に心臓血圧センターの開(kāi)設(shè)に伴い、ほぼ同規(guī)模の増築を?qū)g施。その後は、新たな施設(shè)基準(zhǔn)への対応や不具合発生の都度、改修を施してきましたが、進(jìn)む老朽化は日ごとに限界が近づき、10年ほど前から建て替えなど施設(shè)自體の刷新を検討していました。
計(jì)畫が始動(dòng)した後も、建て替えか移転新築か計(jì)畫は二転三転し、複數(shù)の建築士に相談するなどの紆余曲折を経て、最終的に大和ハウス工業(yè)さんを含む4社に提案を依頼しました。縁あって確保することができた建設(shè)地は、舊病院と比べてやや狹かったこともあり、新病院は「限られたスペースを最大限活かし、コンパクトかつ必要十分な機(jī)能を備える」ことがポイントとなりました。大和ハウスさんにお願(yuàn)いする決め手となったのは、コスト面に加えて岐阜県特有の建築規(guī)制や規(guī)制緩和に精通された上でのプランニング力。設(shè)計(jì)施工をトータルに任せられる點(diǎn)もよかったと思っています。
提案されたプランをベースに、院內(nèi)で立ち上げた建築委員會(huì)で計(jì)17~18回ほどの話し合いを重ね、具體的な図面に調(diào)整。また、同時(shí)並行で「職員の満足度調(diào)査」を?qū)g施し、一人ひとりのやりがいや職場(chǎng)への希望を新病院建設(shè)に活かすよう努めました。こうして、思い描いた理想の職場(chǎng)環(huán)境を手に入れることができました。職員は、皆で建てたという思いがあるためか、いま各自が「自分たちの病院」という意識(shí)で働けているように感じています。これは、副産物的な良い影響ですね。
今後、當(dāng)院のような規(guī)模の病院が地域での役割を果たし、それを長(zhǎng)く継続していくことは、簡(jiǎn)単なことではないと思います。絶えず変化する環(huán)境や時(shí)代への対応こそ必要不可欠です。機(jī)能強(qiáng)化された新病院での「在宅から入院までの切れ目のない醫(yī)療の提供」といった當(dāng)院の強(qiáng)みを、これからも一層研ぎ澄ましていきたいと考えています。