- Vol.1 鞍型屋根の家
(インドネシア) - Vol.2 雪の家、イグルー
(カナダ北部) - Vol.3 とんがり屋根の石の家
(南イタリア) - Vol.4 風(fēng)の塔の家
(イラン中部) - Vol.5 土の中の家、ヤオトン
(中國(guó)) - Vol.6 移動(dòng)できる家、ゲル
(モンゴル) - Vol.7 洞窟の家、カッパドキア
(トルコ) - Vol.8 床暖房と板の間のある家
(韓國(guó)) - Vol.9 ピグミーの森の家
(コンゴ) - Vol.10 海に浮かぶ家
(フィリピン) - Vol.11 世界最古の摩天樓都市
(イエメン) - Vol.12 小さくて暖かい木の家
(ルーマニア) - Vol.13 中庭のある家
(アルジェリア?インベルベル)
Vol.8 床暖房と板の間のある家(韓國(guó)?ソウル)
ソウルの気候?特徴
北半球の中緯度に位置するソウルは、亜寒帯冬季少雨気候です。冬は大陸性高気圧におおわれ、雨が少なく、寒くて乾燥した日が続きます。このような気候では、晝間は太陽(yáng)の力で溫まった地面から、夜になると大気中に熱が放出され、地表近くの溫度が下がる(冷える)「放射冷卻」という気候現(xiàn)象が起こります。ソウルは、北?南?東の三方向を山で囲まれた盆地のような地形のため、冷えた空気が他へ移動(dòng)せず溜まることによって冷え込みが強(qiáng)くなり、最高気溫が氷點(diǎn)下を下回る真冬日になることも少なくありません。一方、夏は気溫が高く、雨も集中的に降ります。また日本と同じように、春夏秋冬の四季がはっきりしています。
現(xiàn)在のソウルの中心部は、かつて「漢城(ハンソン)」と呼ばれていました。漢城は、14世紀(jì)末(1392年)に李氏朝鮮※の首都となり、約500年の間、景福宮(キョンボックン)と昌徳宮(チャンドックン)という2つの王宮を中心とする行政?軍事?経済の中心でした。
漢城で王族や貴族などが住んでいた地區(qū)が「北村(ブクチョン)」です。漢城の中心を西から東へ流れる清渓川(チョンゲチョン)と景福宮と昌徳宮を結(jié)ぶ鍾路(チョンノ)の北側(cè)に位置していることから、「北村」と名づけられました。「北村」は韓國(guó)の伝統(tǒng)的な住居である都市型の「韓屋(ハノク)」が數(shù)多く殘る地區(qū)として、600年の歴史都市の風(fēng)景を今日に伝えています。
※李氏朝鮮:朝鮮半島最後の王朝(1392年~1910年)
陽(yáng)ざしを取り入れ心地よく暮らす韓屋(ハノク)
韓屋は木造で、屋根には瓦が使われています。入口を入ると、マダン(中庭)があり、このマダンはそれぞれの部屋に通じています。家を訪れる人は、かならずこのマダンを通ることになります。中庭に面して、抹樓(マル)と呼ばれる高床の板の間が設(shè)けられています。抹樓は日本家屋に見(jiàn)られる縁側(cè)のような開(kāi)放的な半屋外空間で、両側(cè)の部屋をつなぐ役割も果たしています。夏には、マダンと抹樓には日中、暖かな陽(yáng)ざしがふり注ぎ、心地よい風(fēng)が通り抜けることから、家の中でとても快適な場(chǎng)所になっています。かつては開(kāi)け放たれた空間であった抹樓ですが、現(xiàn)在はガラス戸をつけて使用されていることが多いようです。
抹樓(マル)
寫真提供:韓國(guó)観光公社
抹樓(マル)は家事を行う場(chǎng)所にもなる(衣類を叩いてアイロンをかける様子)
寫真提供:韓國(guó)観光公社
都市型韓屋が多く殘る「北村」の地形は、北が高く南は低くなっています。そのため冬も暖かく、排水にもすぐれています。また南側(cè)に開(kāi)けていることから見(jiàn)晴らしが良く、韓屋の主な部屋にはつねに陽(yáng)が當(dāng)たり、居住に適した土地として知られています。
現(xiàn)在殘っている韓屋は約860棟。1930年代に改築されたものが多く、それ以前に建てられていた大型韓屋にくらべると、マダンは小さくなっています。韓屋の建ち並ぶ様子は路地のかたちによって異なり、迷路のような路地の區(qū)畫は「枝型街區(qū)(えだがたがいく)」、格子狀の路地の區(qū)畫は「格子型街區(qū)(こうしがたがいく)」と、二つの種類に分けられています。
韓屋が並ぶ街並み
寫真提供:韓國(guó)観光公社
床から部屋を暖める溫突(オンドル)
溫突(オンドル)のある韓屋を使った宿泊施設(shè)での様子
寫真提供:韓國(guó)観光公社
朝鮮半島の住居には、古くから溫突(オンドル)と呼ばれる獨(dú)特の床暖房システムが用いられてきました。溫突はカマドなどのたき口で火をたき、それによって暖められた空気を、床下につくられた煙道(ヨンド)に送って床を暖める仕組みです。溫突の暖かい空気が逃げないように、すき間なくつくられた部屋が、溫突房(オンドルバン)です。いくつもの溫突房が集まって、韓屋を構(gòu)成しています。
このような床暖房システムは、中國(guó)の「炕(カン)」など東北アジア一帯に見(jiàn)られます。ただし「炕」は床全體ではなく、ベッドなど床の一部だけを暖房する仕組みを言います。溫突の起源は、かつて中國(guó)東北部の南から朝鮮半島の北中部を支配した高句麗だという説が有力で、「舊唐書」などの古い文獻(xiàn)には、高句麗の人びとが溫突を使っていた記録が殘っています。
夏向きの抹樓(マル)と冬向きの溫突房(オンドルバン)
溫突が朝鮮半島全域で用いられてきた一方、抹樓の起源はその開(kāi)放性から考えて南方だとされています。朝鮮半島の家の間取りは、冬向きの部屋である溫突房と、夏向きの部屋である抹樓の組み合わせからできています。その組み合わせは地域によって違いますが、「北村」に殘っている都市型の韓屋は、抹樓と溫突房の組み合わせの基本となる住居形式になっています。
POINT
- 床暖房は最近の家にしかない特別なものかと思っていたけど、韓屋では昔からずっと使われている、珍しくない設(shè)備なんだね
- 暑い夏を快適に過(guò)ごす工夫として、韓國(guó)にも日本の縁側(cè)のような場(chǎng)所があるんだね。
- 広い中庭を通っていろいろな部屋に行けるのは、楽しそうだな。
參考文獻(xiàn):布野修司?樸重信(共同執(zhí)筆)「舊漢城?北村の韓屋―ソウル,韓國(guó)」布野修司編『世界住居誌』昭和堂、2005年、40-41頁(yè)